Jun
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ああ、われわれはもう、現実を忘れさせてくれるための、一時期の避難場所のようなものなど求めてはいない。むかし、ぼくはある声優のラジオ番組を、祈るような熱意をもって毎週聞いていた。そのラジオの女性パーソナリティが長期休養中に、アシタント役の男性声優が言ったセリフは忘れられない。「この番組が、ちょっとした休憩所・避難所みたいになって、またみなさんが元気に現実の社会に出て行くきっかけになればと期待しています」。この言葉を聞いたとき、ぼくははじめて、怒りというものを知ったように思う。詩やマンガや声優の声が、「現実社会」を忘れさせてくれる、なぐさみものでしかないのなら、嗜好品でしかないのなら、本当にそうだと思うなら、その「社会」というやつを、いますぐこの場に出してみせてほしいものだ。詩ともマンガとも声優の声とも無関係に存在するという、その「社会」とやらが本当に実在すると思っているなら、冗談ではない、そんな精神衰弱者の妄想に、こちらはつきあってはいられないのである。そんな仮想の「現実社会」など、こちらは一顧だにしないのだ。
詩も愛も理想も世界から切りとって、遠いところに押しやり、そうして小さくなった「現実社会」に引きこもろうとする人々の、臆病さに呪いあれ。おあいにくさま! 詩は、愛は、萌えマンガは、世界のなかに存在している。それは現にいまも、われわれのリアリティを多層化させながら、かりそめの「現実社会」を越える世界の全体性に、思いを馳せさせてくれているのだ。
2008-12-17 - 七里の鼻の小皺 (via keinoma)